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数年前だったか、なにげにNHKアーカイブズをみたときに「明日への記録 夢の島」というのをやっていたをふと思い出し、Googleしてみると1972年に放送されたものであるらしい。カラーではあったものの、その色あせた雰囲気と夢の島を走り回るボンネットトラックが、いかにも時代だななどとぼんやりと見ていた。取り立てて特異なこともなく、経済成長とゴミの発生といったありがちな内容であったと記憶する。1972年と言えば戦後27年、そして今は1972年から数えて38年目である。夢の島が今どうなっているか知らないが、ゴミ問題は相変わらず世間を賑わしていて、おそらくは未来永劫人類についてまわる問題だと思われる。
その番組中では、東京の子供達が社会見学で夢の島を訪れている様子を取材していて、その子供達にインタビューをしていたところだけはヤケに鮮明に覚えている。島内を走り回るボンネットトラックと比較して明らかに現代的なスタイルの観光バスから、まるで入学式にめかして来たかというような格好で小学生と思しき子供達がぞろぞろ降りてくる。そして多くの子供達がカメラを手に持ち、家電やら家具やらを踏みつぶして行く様子をパチパチ写したりもし、口々にキタナーイ、臭ーい、キャー、とはしゃいでいるのだった。 小学生の頃、我が家の近くには何件か屑鉄屋というかスクラップ回収業者というか、そういうのがあって我々はそのヤードに侵入しては得体の知れないマシンを、これまた近所にあったほぼ廃屋となった工場(これは「こうば」と読む)にせっせと持ち出しては、そのマシンをこねくり回したり投げつけたりしもし、スピーカから磁石を外して学校へ持ってゆき、その大きさ強さを自慢し合ったものである。そういう経験からすると、夢の島を見学している小学生達とはいかにも対称的に思えた。 38年前に夢の島でゴミ問題を取材した子供達、その数年後に屑鉄屋からゴミをせっせと持ち出してた子供達、どちらもいま、大人になって社会でそれなりに存在感を発揮しているのだろうね。 ![]()
いつか、東京から戻った沖縄出身ミュージシャンが那覇空港に降りた瞬間に、このまとわりつく様な湿り気が自分のアイデンティティ、という様な事を言ったという事をココに書いた。沖縄の湿度は高く、ココ数日間の相対湿度は90数%と非常に高い数値で推移していて、それは洗濯物が乾かないというほどではないという微妙な値。コインランドリーはいつもいっぱいで乾燥機が使えないことも少なくないのだが、乾燥機が増加する様子はいまところあまりない。いまどき乾燥機は自宅に置くものということはあるかも知れないけれど。
湿っていると滑る、物体と物体の間に液体が介在する事で摩擦を軽減するからで、乾かせば摩擦は大きくなって滑りは止まるということくらいは中学生でも分かるのだけど、乾燥機が不足している時は一体どうすれば良いのか。答えのない問題に答えをひねり出すのが大人の仕事のはずなんだが、そういう問題解決能力のトレーニングを日本の教育では重視していないせいか、日本人はあまり得意でない。大鉈をふるって根本的な問題解決を計るよりは、あるものを生かし、それを利用し良い方向に転がそうと考える。 滑って危ないならばどこかに縛り付けて固定するか、滑っても危害がない様に周辺を片付けるなりクッションを取り付けるなり、善後策はいくらでもあるが国土は限られていて片付ける事が出来ないほどのモノが溢れている現状を考えれば、固定するかクッションか。そのままだと危険が危ない。 生きる上での営みというものを考えてみると、落ちついて安定した心地よい環境というものがなければ、生命を長く維持する事はできなかろう。これは必要十分条件である。生命が長く維持できるという事は、悠久の営みがそこにあると言って良い。ここいらの人々が長寿である事は良く知られているけれど、気候が暖かく食べ物が良いだけで生命の危機が全て取り除かれる訳じゃない。現代の様に人々が相互に依存することで社会が構成されていれば、ヒトがヒトを脅かす事になることはままあるし、そして、ヒトとヒトの関係の捉え方は相互に違っていて当然であり、たくさんのヒトとヒトが入り乱れればそれは変化してゆくもので、昨日の友が今日の敵なんてことは日常茶飯事だ。 狭い日本そんなに急いでどこへ行くというのは、けだし名言だけれど、Time fliesかつTime is money 二つ合わせてMoney Flies という現代の地球では急ぐなという方が無理な話しではある。カネには実体がないからドコへでもすぐ飛んで行くけど、ヒトは数十キロの質量があるからカネの様には飛べるはずがないにもかかわらず、それを追わないと生きて行けないから、皆急がなきゃならない。赤信号皆でわたれば怖くない、というより皆がわたってるのに一人だけわたらなかったらバカである。 狭い土地で多くの人がバタバタ走り回れば衝突は起きるもの。分子気体力学の世界では、分子が運動してそれらが衝突する事で圧力が生じる。運動が速くなれば衝突のエネルギーは増え、圧力が高まって容器に加わる応力が増え、容器がいつか壊れる。容器が変形して広がるか、穴が開いて分子が溢れて少なくなれば圧力は元に戻る。個々の分子は高圧になっても壊れる事はないが、原子分子の集合体であるヒトに高圧が加わり、応力が増えひずみが限界を超えればヒトは壊れる。開拓や埋め立てによってヒトを収める土地は少しずつ広がると言っても、ヒトが動き回る速さ、増える速さとの対比が問題だ。応力は英語でstressと言うけれど、西洋ではヒトが抑圧される事と物質が応力を受ける事を同様なものと考えているらしい。 そもそもヒトが動き回らなければ衝突は起きないが、生きるために何かを追いかけなきゃならないのでどうしようもない。動き回るヒトを押さえつける、衝突しても害がない様に鎧を纏う、あるいは、そもそも追いかけるべきものがないなら衝突は起きない。沖縄に何かがあるといってリピーターも結構居るらしい。「ない」が「ある」場所なのかもしれないね、そりゃ探しても見つからねえ、探すのをやめたときに見つかる事も良くある話し。 ![]()
経済とか経営とかの世界ではチャンスゲインとかロスとか言って、とにかく利得を挙げなければならんという事になっていて、穫れるものを穫らないのはゼロじゃなくてマイナスだと。近代社会の三大要素は、名誉、生命、私有の保証であり、人生に必要なものは勇気と想像力とサムマネーであるからおかしな話しじゃあないが、どうもその手の話しを聞くと、このジョークを思い出す。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。 その魚はなんとも生きがいい。 それを見たアメリカ人旅行者は、 「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。 すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。 旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」 と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。 「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、 漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」 すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。 「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」 漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」 「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」 「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、 「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」 「それで?」 「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」 なんだか今時のロハス趣味のようだけれど、行きがかり上ロハスしてみると、それが良いとはちっとも思わない。平穏は好むけれど単調は望まない。レーサーは名誉のために走り、ダンサーは情熱のために踊る。 北杜夫が書いていたことを思い出してみる。 ある男が石を持ち上げて得意げな顔をすると、別の男が岩を持ち上げてさらなる力を誇示する。最初に上げた男はさらに大きな岩を持ち上げ、もう一人がさらに大きな岩を持ち上げ、たがいに競っている。 男が山ほどもありそうな岩を持ち上げると足下がその重さに耐えられずずぶずぶと沈んでゆき、男は岩の下敷きになる。 そして、それを見ていた人々はその岩に「もっとも重い岩を持ち上げた男の碑」と彫りつけて後世まで語り継ぐ。 つまり名誉というのは岩に彫られた言葉の事らしい。 名誉は近代社会の要素として普遍的に重用されているし、財産については言わずもがな。ところが情熱と来たら成功の要素に過ぎず、情熱を中心に据えて良いのは、不適応と愚かさと茶番にまみれた青春の時期だけといったような扱い。ある先輩がサークル名をパッションにすると毎度言っていたのを思い出す。あるダンスチームがパシオンという名前をつけているのに、無理矢理こじつけてみようとするのは我ながら無駄な悪いクセだ。 ![]()
IPCCのデータがねつ造されたものであるとちょっと前から話題になっている。ねつ造されたデータ、という言葉には矛盾を含んでいる。データの日本語訳は所与、すなわち与えられるものであって、それを受け取る側にその内容を改変する術が無いもののことであり、ねつ造された時点でそれはデータではない。が、そもそも論には事業仕分けのニュースでうんざりしているので、データの語義なんかどうでもいい。
データというのは実際のところ数字の羅列であって、数字の集合になんらかの関連性や意味を見出すことに躍起になっているのが科学者である。そこに何らかの意味が潜んでいるのかいないのか、それを見極めるのが科学者の仕事。最も高等な数学は最も優秀な数学者にしかその妥当性が理解できないが、もっとも複雑なデータの背後を理解できるのは、やはり最も優秀な科学者以外にない。ノーベル賞学者ジョンナッシュはありふれた新聞記事に国家スパイの暗号を見出していたようだけど、99.9%以上の読者にとって新聞記事は新聞記事、そこに暗号が潜んでいるとは誰も思いはしまい。数字の羅列はやはり数字の羅列、それが温暖化を意味しているのか凡夫には分からない。 事の発端はハックされた科学者のE-mail履歴で、そこから科学者達のスキャンダルに発展しつつある、らしい。 地球は温暖化という気候変動に侵されつつある、というのは新聞など見る限りではかなり広く認識されている事の様に思われ、同時に、あらゆる人間活動が温暖化の原因である炭酸ガスの削減に向かわなければならない、ということになっている。そこへきて、温暖化は本当か、というそもそも論をあらためて蒸し返したところでどうなるというのか。 大事なのは、物語をドライブする構成なのであって、登場人物が奪いあうダイヤの指輪なんかはたとえば石炭の欠片だろうがどうでも良いのだ。というヒッチコックの言葉に習えば、限られた化石燃料を奪い合う国家間の非協力ゲームという局面から、提携が相互の利得に寄与するという協力ゲームへ移行する一つの大義名分を人類は得た事になる。 マクガフィンが何であるかはまったく重要ではないが、マクガフィンの存在によって、物語は不自然さを伴わないで進行する。たとえ温暖化が一部の科学者による恣意的な解釈であったとしても、人類は相互の利得についてより深く考える事が出来ることになった、というのは恐らくは間違いが無いところだろう。 ![]()
300kmほど離れている近所にでっかい書店が出来たというので行ってみた。ま、ジュンク堂なんだけど。上京したときにはでっかい書店を訪れるのが一つの楽しみで、東京だと紀伊国屋とか八重洲、名古屋だと丸善と三省堂あたりには良く行くのだけど、ジュンク堂はこれまでに多分二度ほどしかいったことが無い。というのは、おそらくジュンク堂は店内の配置があまりにも図書館的過ぎるからではないか、と今回思ったのである。書棚が高くて平積みの本が少ない。新刊コーナーなどは当然平積みされているけれど、専門コーナーに行くと全くない。
専門書の類いは流行や世情とは関係ないのだから各々が勝手に良いの探して買えばよろしいという姿勢なのだろうが、それじゃ大学図書館とかわらん。膨大な在庫の前に呆然と望む本が見つけられず、端末で検索して、奥から三番目の棚に目的のタイトルを探してレジに持っていくなんて、誰も開いた事の無さそうな文献を書庫の奥から探し出す作業と変わらんぜ。フト目に付いたマニアックな本をついつい立ち読みしてしまい、意味が分からないので簡単そうな関連する本を探し、結局、まったく買う気もなかった新書コーナーの○○入門を買ってしまう、というような楽しみがない。 同じような事を近頃はレンタル屋でも良く経験していて、ビデオ屋では目的のタイトルを探しながら得られるメタ情報を大切にしたいのだが、やたらに在庫が多いものだから立てて陳列されてるDVDケースの背のタイトルをひたすら目で追うだけじゃあ、目が疲れるだけである。さっさと店員を捕まえて7年目の浮気はどこにあるかと聞けば良いのだけど、そんな方法に頼るくらいならもっとお手軽な方法が世の中にはいくらでもある。レンタル屋で目に入るのは、新作が何十枚も並べてあってそれが全てレンタル中である事ばかり。 考えてみるとエロビデオコーナーには、タイトルが平積み=ジャケットが見える状態で陳列されていて、冴えない男達がかわるがわる手に取ってああでもないこうでもないと沈思黙考する風景があるものだ。たかが数百円でわずか数分の快楽にも関わらず、ジャケットの小さな数枚の写真から、可能な限りの情報を得ようとしているであろうことは想像に難くない。それでもエロビデオのジャケットに騙された経験を持つ男性はかなりの割合いるはずだが、まあそれは関係ないな。エロもクラウド化が進んでいるようだから近頃は違うのかも知れないけれど。 一言で専門書と言っても、よほどマイナーな分野でもない限り特定のテーマに対してたくさんの書籍があって、専門書である以上タイトルには分野を表す四字熟語が必ず入り、例えば流体力学の書棚にはひたすら「流体力学」の文字だけが並ぶ事になる。せいぜい「やさしい」とか「詳しい」とかその程度の接頭辞がついて後は色と書体の違いだけ。そんな背表紙ばかりを眺めてどのように一冊を選ぶというのか。 そんなことより、悲しき熱帯の上巻がなくって下巻だけがある。やれやれ買うなら上下セットで買ってけやと思いつつも文庫版を文庫コーナーに探すとこちらでも上巻だけがなくなっていて、ここでまたブチ切れ。おまえら著者死んだからって本屋来てんじゃねーよ。もうアホかとバカかと、一冊だけ買うなら野生の思考買え、と。いかにも素っ気ない装丁でしかも高い、本棚の飾りにしとけと。大体ジュンク堂は殺伐としすぎなんだよ、本屋は平積みに釣られて余計なものを買ってしまう、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。インデックスだけ見て必要なものだけで済ませるようなのはすっこんでろ。 無けりゃ結局アマゾンで買えばいいんだけど、本の装丁や質感って結構気になるもので、届いてみたらいかにもダサイ本だったら読む気もしないはずで、クールな本は平積みしておいて欲しいもの。その辺はパルコブックセンターが上手かった印象だけど、ま、いずれにせよ大きな書店が出来たのは嬉しい事です。 ![]()
茂木健一郎は科学者というより占い師みたいだなあと思っているのだけど、どうやらその道の人に言わせると福岡伸一も同様な人物であって、そこいら界隈では両人とも科学者という皮をかぶっているだけに危険人物とすら認識されているらしい。mixiで福岡伸一本に星五つ付けただけにこれはちょっと困った。
福岡伸一とその著作批判をさらさらっと眺めてみるとどうやら専門知識に誤認が少なからずあり、その誤認に基づいた珍説を垂れ流している、ということらしい。 ベストセラー「生物と無生物の間」、たしかに同書では生物の代謝システムに関する知識をベースに論を進めていた様に思うけど(読み返してないので詳細不明)、少なくとも生物と無生物の境目を明示するような論旨ではなかったと思われるし、境目なんてぼんやりと雲を掴むような話しだ、ということだったような? 星五つ付けた「世界はわけてもわからない」も、分子生物学をベースにいろいろな話しが派生しているけれど、タイトル通り、わからないというのが結論である。つまり、著者はわからんものはわからん、と言ってるに過ぎない。 なるほど、わかりません、というのは確かに研究者としては逃げの態度である。しかし著者はポスドク時代の経験から、わからないということが現代の研究者にとってどれほど恐ろしいことか、ということを詳しく書いており、その上で、わからないと言ってるのである。 教科書の類いでもない一般雑誌の連載を纏めただけの文庫本に文句をつけてる訳じゃなく、その他の言動が批判されてんのか、恐らく。 ましかし、まっとうな「研究者」からすれば疎ましい存在なのかも知れんなあ。 〜私は真理の大海を前にして、 浜辺で貝を拾って喜々としている子供にすぎない ニュートン〜 ![]()
アウターリーフをうねりが超えて、あるいはリーフエッジでブレイクした波がリーフ内にうねりが生むほど大きければ、ビーチに波が立つ。つまり、潮位が低くかったり外洋からやってくるうねりが小さければ、リーフエッジがうねりのエネルギーを全て吸収してしまい、ビーチに波が立たない。
毎日パドルしてたらいつかはやってくると思っていたオーバーワークによる疲労というか、筋肉の痛み。ところが、ビーチには年に数度も無いという肩サイズのファンウェーブと来たら出動しない訳にはいかない。日没が早くなっているのでとにかくさっさと出かけてみると、毎日毎日ようやるわという面々、聞いてみればここんとこ毎日朝から晩まで海入ってるとか、店を開けるのは夜だからとはいえいくらなんでもいつ寝るのとか、まあ、ビーチの前を通るたび見てりゃ聞くまでもなくわかりますけどね。 遠くに巨大なうねりを見つけて、ピークの方向へパドルを始めるときに周りを牽制しなくてもいいのがここいらのいいところ。コンテストじゃあるまいしガツガツやるのは疲れます。転勤族サーファーの方に聞いてみれば神奈川の方じゃ取り合いでのケンカもしばしば見られるとか、そんなとこではやる気しないなあと思いつつ、偶然にもピークから滑り降りてみれば、あれよあれよと足下にモコモコ波が立って来て、気づいてみればビーチまでのロングライドしちゃったりとか。こういうのがあるからついついまた来ちゃうんだよなあ。ま、こんなのはホントに滅多に無いけれど。 テイクオフを決めてボトムターンからフェースを駆け上がるつもりがボードが刺さるとか、調子良く滑り降りたら先に行きすぎて後から来た波に置いていかれちゃったりとか、たった瞬間にボードが急加速してすってんころりんとか、上手くならねえなあ。しかし上手くならないからこそ、面白いというのもまた事実。楽しくない時間が続いてもう止めるかというころに会心の一撃がでちゃったりするから、ついついまたゲッティングアウトしてしまう、とは誰もが考えている事らしい。 ![]()
高速道路の無料化でバスやフェリー会社の経営は悪化するであろうから、路線の統廃合をしなきゃならんという経営陣の話しに続いて、利用者が不便になることを嘆くというテレビ番組。事実、ETC割引以降、高速バスの利用者は激減しているらしい。
自家用車の高速料金引き下げでバス利用者がマイカーに移行したなら、そもそも移動に関するコストの多寡だけで移動手段を選んでいたわけだから、マイカー利用よりも安あがりに利用できる様にすりゃいい、高速道路の利用料金引き下げはバスにも適用されるんだろうし。というのじゃあ、身も蓋もないな。 高速道路に縁のない生活を送って久しいけれど、例えばマイカーに独り乗りで長距離移動した方が多少公共交通よりもコスト安だったとしても、すべての移動をマイカーに切り替えるなんていうバカはそう多くはないと思うのだが。単にこれまで高いイメージのあった高速料金が安くなったのでバーゲンに飛びつくオバよろしく、庶民が飛びついているだけじゃないのかなあ。高速道路無料が当たり前になれば、目新しさに飛びついた人たちも長距離移動にマイカーを使う事のネガティブ面が見えてきて、賢く使い分ける様になると思うのだが。もともとの高速マイカー族はバス会社には関係のないグループだし。 とはいえ、バスからマイカーに切り替えたと思われるグループが、マイカーに飽きてバス利用に復帰するとしても、バスとマイカーを適宜切り替えるということになるだろうから、これまで通りの利用者数とはいかないのは間違いない。でもそれって、市場の原理というやつでバスに魅力が無ければ遅かれ早かれ訪れていたであろう変革であって、高速料金の無料化はひとつのきっかけにすぎないってことなんじゃないの。 高速道路はほとんど利用しないのだけど、実は高速バスは良く利用している。空港へのアクセスという、ちょっと特殊?な路線ではあるのだけど、多少マイカーの方が安上がりだったとしても、どう考えてもバスの方が便利である。この場合のバスは、その他公共交通に置き換えてもよろしい。マイカー移動は嫌いでないというよりむしろ好む傾向があるのだけど、こういうタイプの人間は単にクルマに乗りたいだけで何も考えてないので、マイカー移動の不便さに気がついていない。 公共交通が使えるところでは公共交通の便利さや、あるいは快適さを向上させつつアピールしてくれれば、都会のバカみたいな渋滞も緩和できる。それにはまず、90年頃の現代用語の基礎知識にはプレリュードで駅前に乗り付け女子大生をナンパするのがトレンドみたく解説されていたのだが、バス停留所でナンパしつつ高速バスで遠方まで連れ出すのがナウい、というムーブメントを電通あたりに起こさせる必要がある、、、発想が古いな我ながら。 ![]()
民主党大勝!なのはいいとして疑問なのは、民主党に期待はしていないが、自民党がダメだからやむをえず民主党に入れたという妙にネガティブな論調が、開票速報のときから卓越していた(ように思える)ことだ。視聴者からの投稿やコメンテータの意見が、ホントは民主になんか期待しちゃいない、というのが多かった(ように思える)のは実におかしい。
インテリゲンチャが民主党の力を疑問視するのはそれなりに根拠のある話しだし、べつにおかしくはない。ところが世の中インテリばかりな訳は無く、バラマキ歓迎補助補償どんどんおくれ、財源?それって食えるの?ということを考えている人だってかなり居るものと想像する。実際、平時にはそういう「とにかく困っている人たち」に関する報道がよくある様に思われるのに、選挙が終わってみると、クレクレやるやる言ったって出来やしねえよ、なんて言い出して、それこそ無責任じゃありませんか。 民主党が支持を集めた理由とされるロジックは確かな様に思えるが、世の中ロジック通りにいくならとっくにもっと良くなってるはず。とにかく民主支持という人だっていたはずで、そういう、愚民の論理だって取り上げたって良いじゃないか。屁理屈だって理屈のうちだ(ホントか?)。 民主党にすべてを期待していいかというとそんなことは少なくとも私はこれっぽっちも思っちゃいないし、その辺はそこらの有象無象と良く似ているようだけれど、かといって世の中全てがそういう風に考えている事が健全だとは思えない。とりあえずは、責任ある立場に付いた以上、出来る限りの事をお願いしますよと思っているし、同時に知恵ある人々には民主党に期待の出来る事についてコメントしてもらいたいものだ。民主党に期待できない事ではなくて。 判官贔屓なんていう言葉があるけれど、大敗した自民党には今後期待するみたいなコメントが付けられていたりして、とにかく力あるもの(与党)には辛口コメントさえ付けときゃOKなんていう安易な空気が流れてるつうか。 日本のマスコミは、いつか再び(大戦前に大衆を煽動したような)大きな過ちを犯すだろう、とどっかの海外ジャーナリストかなにかがどこかで言っていたけど、たしかに、今回の報道っぷりを見てる限り、やっぱりどっかおかしいって。 長年親しんだ自民党のロジックで考えてりゃ民主党はバカに見えて当たり前、っつう単純な話しだったら良いのだけど、だとすると夜明けまでにはまだしばらくかかりそうだねえ。
クルマではラジオをなにげに聞き流していると、稀に曲がど真ん中ストレートに入ってくる。そんなことは本当にめったにない事で、運転中に泳ぎまくる思考とDJの選曲の線が交わったときに、ちょうど聴覚に脳のリソースが持っていかれているときに起こるような気がする。
そんなときには後からYoutubeなど見まくってしまう訳で、行きがかり上こんなのと出くわしたりする。スタンダードな曲ですが、とてもカッコ良い。 喜屋武マリーはリアルタイムでは知らない(というか今でも活動はしているようだけど)のだが、キャンマリーなんて聞くと外人か思ってしまうのがナイチャーというもの。 いまの住処に引っ越した頃、ときどき訪れていたバーのバーテンが、喜屋武マリーの未公開というか非売品というかそういう音源をもっていて、それは、松田聖子とかキョンキョンあたりのいわゆる歌謡曲をカバーしたものだったのだけど、アコギだけ(じゃなかったかもしれないが)をバックに歌い上げる歌のうまさにたまげ、いつかその音源をこっそり手に入れられないかと思っていたらそのバーは潰れてしまった。客が居なくて居心地の良い店だったが客が来なきゃ経営は立ち行かないですよね、そりゃ。 90年頃こんなジャパメタをリリースしていたらしいのだが、当時は全く知らなかった訳で、SHOW-YAとか浜田麻里にちょい遅れくらいの時期か? しかし曲のカッコ良さは数段上をいってるな。喜屋武マリーは70年代にキャリアをスタートさせていたらしいから、ビジュアル先行の市場ではアレだったということなのかしらん。 そして、やっぱりお約束のコイツも探してしまったり。 Double Dealing Woman SHOW-YAだの浜田麻里は流行ってはいたけどやっぱり、田舎の生意気なガキどもはそういうのは「本格的でない」とかどこか斜に構えて、BOOWYが解散しつつもやたらコピーしてるヤツがいたり、ブルーハーツをやたらシャウトしてたり、尾崎に酔ったりしてた。メタルブームが訪れてたりしつつも、そんな中、個人的にやたらリピートしてたのも探すと出てくるもんで、 BOOWYもブルーハーツも尾崎も良く聞いたけど、コイツが一番カッコいいと思ってたら、尾崎を揶揄した歌詞だとどこかのウェブで見たけど、どうなんでしょうね。 ひとしきり懐かしみつつ、ラジオで刺さったのを探すと。ナンセンスな歌詞がどうやらツボらしい。 ま、その他の曲なんか聞いてみると、The CoorsとかCranberriesとか、その辺のアイルランドポップグループのようなサウンドっぽいとか思ったりしたのだけど、アイルランドと思っていたThe Cardigansが実はスウェーデンのバンドと知ったのはついさっきのことなので、まあその程度の感覚。 この辺のコメント欄なんか見てるとわりと注目されているようで、いきものがかりも売れてるようだし、このグループもそこそこ売れるかも知れん。まあでも、売れそうだなというか、売れるべきと当時思っていたピチカートファイブが思ったよりは売れなかったようなので、やっぱりコアなファンの支持は得られても売れる事はないんだろうなー。 STUDIO VOICEで特集ってコメントがあるけど、休刊ということじゃなかったかなあ? まあどうでもいいけど。
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